・てんぱ


「うわ! ねすごした!」

日曜日の朝、私がこんな早い時間に目覚ましをセットしているなんて珍しい。
平日学校に行くときよりはゆっくりだけど、いつもの週末なら寝ている時間だ。
私の頭はヒドイ癖っ毛だ。朝鏡を見るといつも憂鬱になる。まるで落雷にでもあったみたいだ。
ただでさえ夜が強くて朝が弱い私は、自分の頭を見るだけでまた布団に戻りたくなる。
しかし、今日は気合を入れてブラッシングし、いつもよりもきれいにしていかなければならない。
だってやっと手に入れた宝物と、こうなってからはじめて過ごす休日なのだから。

「だーれだ」

背筋を伸ばして立っていると意外に上背のある彼の後ろからこっそり近づき
しっかりお手入れした手のひらで目隠しをする。

「うーんと、ゆかりちゃん」
「誰よそれー」

ぐりぐりとこめかみを押す。いまこの人にこんなことできるのは私だけ。
きっかけはなんでもないことだった。入学式のとき、たまたま斜め前に座っていた隣のクラスの男の子を
私はぼんやり見ていた。そんなにかっこいいとは思わなかったが、妙にかわいらしい顔をしていた。
特に接点もなく、一年生のときは廊下を通る姿や、友達と笑いながら下校していく様子を見ているだけだった。
なんとはなしに彼のことを調べ始めたのは、やっぱり一目ぼれしていたからなのかもしれない。

私の頭はヒドイ癖っ毛だ。保育園に通っていることはさらさらのストレートだったのに、
小学校四年生くらいから、おそらく体が少しずつ大人になり始めたあたりからだと思うが
ものすごい勢いでぐりんぐりん巻くようになった。
中学生のころは巻き具合も絶頂で、クラスメートに爆発だのスチールウールだのイトミミズだの
散々いじめられた。もっと下品な形容で呼ばれていたこともある。
最初のうちは怒ったり泣いたりしていたが、そのうち笑っていることに決めた。
笑っていると、不思議なことにからかっていた連中が遠くに行ってくれるのだ。
笑う角には福来るとはよく言ったものだ。ちょっと違うような気もするが。

中学三年生のとき、両親は寺女に行くように勧めてきた。
さすがに娘が学校でどういう目にあっているかをどこかから聞いたらしい。
お嬢様学校と呼ばれる女子高に行けば多少はましだとでも考えたのだろうが、女ばかりのほうが
余計に陰険になりがちだし、私をいじめてくる連中は女のほうがたちが悪かったししつこかった。
入試ももちろん一人で行ったし、卒業式も一人で帰ってきた。
春休みに母親が縮毛矯正でもしたら、といってきたが、いじめを避けるためにストレートにするなんて
いやだった。私は私の道を行く。そんなふうに自分の中でつっぱねていた。
高校の教室でも不可思議な現象についての本を読みふけり、クラスの中に溶け込もうとはしなかった。

一年生も終わり、時間ができた私は本腰を入れて彼のことを調べ始めた。
お父さん、お母さん、親友、幼なじみ、そして彼自身……。彼は愛されていた。
いつしか私は彼を自分のものにする方法を日々考えるようになった。
もし、彼が誰かのものになっていたら私はあきらめていただろう。
でも不思議なことに、エアポケットのように彼のすぐ横の空間は空白になっている。
誰もそこに飛び込んでいかないなら、私がそこを独占したい。
部活の紙を両手一杯に抱えていた私は廊下の窓越しに歩いている彼を発見すると、
迷うことなくぶつかった。
計算と本気、不安と自信、予測と誤算の日々は過ぎ、そして成功する綱渡り。

「花梨と水族館なんか行くなんて変な感じ」
「私がそういうとこ行きたがっちゃおかしいわけ?」
「なんかもっと秘宝館とかパラダイスとかそういう得体の知れないところに行きたがるイメージ」
「失礼だなあ、たかちゃんは」

こういう男の子はこういう攻め方に弱いという計算に彼は怖いくらい当てはまる人だった。
そんなことを考えているくせに私はというとこれまた怖いくらいに本気になっていた。
いつもつきまとう、彼がすぐ側にいる魅力的な女の子達にいつ気づいてしまうかという不安と
彼が間違いなく私に興味をいだいているという自信。
きっとこうなるだろうという甘い予想と、思わぬところで生じた誤算。
私は濡れ衣を着せられたことより、彼を失うかもしれないことのほうがよっぽど悲しかった。
でもやさしい人だった。こんな私にはもったいないくらいやさしい人だった。
かえって彼との距離は近づき、彼は私のものとなった。

「おなかへったな。花梨、ご飯食べようぜ」
「もー、たかちゃんはムードない。こういうときは『俺も花梨におぼれてしまいそうだよ』
 とかいわないといかんのよ」
「浮かせる歯が無くなってからそういうことは言ってやるな」

彼は女の子が苦手なんだという。

「でも花梨といると、そういう苦手意識がなくなるんだ」
「えー、それ私が女の子っぽくないってこと?」
「や、そんなことないけど……でもやっぱり花梨は普通じゃないのかもね」
「たかちゃんは、普通の女の子の方がいいの?」
「だったら花梨と付き合ってないって」

なんだか複雑。でもそうはいいながら私のことしっかり女の子としてみてくれているのを知ってる。
彼の視線は私の大きく開いた肩口と、ひざ上10センチにチラチラと向けられているから。
水族館を出るとまだ日は高い。五月の少し汗ばむような陽気は私を少し大胆にする。

「ねえ、これからたかちゃんのおうち、行っていい?」
「うち? 来ても何もないよ」
「あるよ。たかちゃんがいる」

彼はみるみる顔を赤らめたが、私は彼の手を引いてずんずん歩き出す。
家の近くで、彼の幼なじみとすれ違った。きれいな黒髪を二つにしばったかわいらしい女の子だ。
彼は気さくに声をかけ彼女も笑顔でそれに返すが、一度も私のほうを見ようとしない。
別にかまわなかった。私は彼の気持ちがあればそれで良いのだから。

「うわーここがたかちゃんのおうち」
「別に普通の家だろ」
「じゃあ、たかちゃんのお部屋にゴー」
「ゴー、じゃないって」

すたすたと階段を上がると、部屋が三つある。

「あけていいお部屋はどれ?」
「どれもダメだから」
「うーん……ここだっ!」

私は彼と以前交わした会話を思い出して一番奥の部屋に飛び込んだ。

「あたり! ってコラ」

開けた部屋のなかは、いかにも男の子の部屋という感じ。ちらかっていて、ひときわ濃厚に彼の匂いがする。

「来るってわかってたんなら掃除しといたのに」
「いいんよ。突然押しかけたの私のほうなんだし。で、たかちゃん」

私はにんまり笑って彼の顔をのぞきこむ。

「なに?」
「男の子の宝物はどこにあるのかな?」
「はあ? あ、ばか! 探すなっ」

ベッドの下からは若い女の子の裸が写った、ある意味健康的な本が数冊。
彼は真っ赤な顔をして取り返そうとするが、ひょいひょいとかわしてページをめくった。

「おまえなぁ……」
「たかちゃんひどいよ。私というものがありながら」
「そんなこと言ったってさ」

うん。そうだよね。私もたかちゃんもまだまだ子供だもん。でも面白いからよよよ、と泣き崩れてみる。
慰めようと近づいてきた彼に私は言った。

「……ね、たかちゃん。私の秘密、見せてあげよっか」
「え?」
「ちょっとむこう向いてて」

彼の背中から緊張と期待が伝わってくる。私もそれに答えてあげたい。でもその前に……。

「たかちゃん、いいよ」

ゆっくりとこちらを振り向いた彼の前に、そのままの私がいた。
ヒドイ癖っ毛。ゴムでしばっていたにもかかわらず四方八方に飛び跳ねている。

「花梨……」
「ほどくとこうなっちゃうんよ」

髪飾りをはずして狼のように逆立った髪の毛を見て、彼は驚いていた。

「もしさ、たかちゃんがいやだったらストレートにしようかなって」

彼はしばらく黙っていたが、俺は花梨の髪型が好きだって言ったろ? と照れくさそうに言った。
私はうれしくてうれしくて、ちょっと泣きそうになったから

「もうっ。たかちゃんなんてクサイこというんよ」

と走りよってべしべし叩いてみた。気付くとすぐ目の前に彼の顔があった。
計算もできない。私は彼からもう離れられないから。わさわさした髪の毛も
これまでの嫌な思い出も、全部彼の気持ちに包まれていく。
ぴりっと下腹部に走る痛みの中で、いきなりストレートにして驚かせるのも悪くないかも、
そんな風に考える自分もいた。

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