・二年後




「このみさ、こんな時間に出たら早いだろ?」
「タカくんと登校することが重要なのでありますよ」

 あれから二回目の春。二人は相変わらず肩を並べて朝の空気の中を歩いている。
 違うのは、このみの髪が背中まで伸びて、貴明がもう制服を着ていないこと。
 彼は自分でも何がどうなっているのかわからないうちに、街の大学に進路を決め、
 なんだかんだあって結局同じ大学に進んだ雄二と気楽な大学生活を送っていた。

「このみもいよいよ受験だけど、どこ受けるんだ」
「タカくんと同じとこだよ」

 間髪いれずこのみは即答する。

「ま、そうだよな」
「うんっ」

 二人が一緒にいるようになって間もなく二年たつ。幼い頃から一緒にいるのが普通だった関係は
 劇的にに変わったようでいて、それほど変わってもいないようで、一見昔どおりにみえる。
 そして髪の長さのほかに一つだけ大きく違うのが、彼らの間から環の姿が再び消えていることであった。

「タマ姉今頃どうしているのかなあ」
「春休み、帰って来なかったね」
「忙しいのかな」
 
 環は高校を卒業すると、九条院に戻った。無条件で大学に入ることができると言いながら
 三年生になってからの、いやこのみと貴明が付き合いでしてからの彼女は
 なにかと多忙を口実にして貴明達とはあまり遊ばなくなり、昔のように貴明に抱きつくようなこともなくなっていた。

「このみ、幸せにね。それから……タカ坊をよろしく……ね」

 環の卒業式の日、夜になって彼女はこのみを公園に呼び出した。最初は笑顔で思い出話をしていた彼女が
 最後にそう言ったあと、けん命に笑顔を保とうとして耐え切れずこのみの記憶にはない行動をとった。
 環は涙を流したのである。
 このみはどうすることもできず、一緒に泣きながら頷くよりほかなかった。
 彼女は貴明と付き合うようになってようやく環の本当の気持ちに気付いた。
 自分たちと距離を置くようにしているのも、優しさと口惜しさの混じったものであることを理解していた。
 それでも二人の前ではいつものタマ姉であり、タマお姉ちゃんでありつづける彼女を
 このみはやっぱり仰ぎ見るように尊敬していたし、実の姉のように大好きだった。
 貴明の側を託されたものとして、このみは環のようになりたかった。

「タカくん、襟が乱れてるよ? ちゃんとしないとだめ」
「あ? ああ。しかしこのみ最近タマ姉みたいなこと言うよな」
「うん。タマお姉ちゃんにはタカくんをよろしくって頼まれてるから」

 貴明は肩をすくめてバス停の前で足を止める。

「ではタカくん、行ってくるであります」
「おう。気をつけてな」

 ぴしっと敬礼してこのみは駆け出していく。貴明はその後ろ姿を見て無意識に頬を緩め、
 このみは朝の風を体に受けながら既に放課後のことを考えていた。


 夕方のホームルームが終わるとこのみは全速力で教室を飛び出し、
 陸上部もほしがったといわれるその健脚に物をいわせて家に帰りつく。
 母親へのあいさつもそこそこに自分の部屋に入ると制服を脱ぎ捨て、
 すぐに浴室に飛び込んで汗を流し、下着をかえ、髪を結いなおし、ほんの少しだけお化粧をした。

「これでよし、っと」

 鏡の前でにこっと笑う。彼氏の大好きな自分の笑い顔。
 貴明のことを思うだけで、このみは心から笑顔になれる。実際に目の前にいればなおさらだ。
 これからのひと時のために彼女は一日を過ごしているといっても過言ではない。
 あんまり遅くならないうちに帰ってきなさいよ、という春夏のなかばあきれたような声に
 元気よく返事しながらこのみはお隣の鍵を開ける。
 一度帰ってきていた貴明の両親は、またこの春から仕事でいない。
 彼が帰ってくるまでこのみは洗濯をしたり、部屋を片付けたり、かいがいしく働く。
 整えたベッドを見下ろして、うーん、とひとしきり悩んだこのみはばふっとベッドに飛び乗った。
 彼のにおいに包まれて、またたびをかいだ猫のようにくねくねと彼女は布団を抱きしめる。
 そうこうしているうちに玄関の開く音がした。飛び起きて階段を駆け下りていく。

「タカくん、おかえりなさい」
「ただいま。相変わらず早いな」

 玄関の鍵を貴明が閉めたのを見計らってこのみは彼に飛びつく。

「タカくん、タカくん……」
「わわ、このみ、せめて靴脱がせてくれ」
「あはは……、ごめん」

 この二年間で彼女の体は劇的、とはいかないまでもそこそこ成長した。
 制服の下に下着しかつけていないこのみの体の柔らかさが貴明の若さを刺激する。

「ほい、ととみやの季節限定。イチゴのミルフィーユ」
「うわー、おいしそー」

 狼狽を隠し、好物の甘いものでふわふわといい香りのする彼女を引き剥がすと
 貴明は部屋着に着替え、気を落ち着かせて居間に下りる。
 居間ではこのみが紅茶を入れて彼を待っていた。
 彼が腰を下ろすとそれがあたりまえのように横にぴったりとくっついて座る。

「じゃあ食べようか」
「うん。いただきまーす」

 このみが直方体をした洋菓子にフォークを入れようとした瞬間、貴明が声をかけた。

「このみ知ってた?」
「なに? タカくん」
「ミルフィーユを崩さずに食べられて初めて一人前のレディーらしいぞ」
「一人前の、レディー……」

 このみはむむむとミルフィーユをにらむと、おそるおそる銀の食器をもろそうなケーキに押し当てる。
 しかし力を加えるとあえなくその上品な重層構造はくしゃりとつぶれてしまった。
 んしょんしょと何とか復元して再挑戦するが、ぺちゃんこになるだけだ。

「タカくん、わたしレディーにはなれないみたいだよ」
「そうかあ、残念だなあ」

 うつむくこのみにそう言って貴明はミルフィーユを横に倒し、さくさくと崩さずに食べ始めた。

「あー! タカくんそれずるいよ!」
「これがちゃんとした食べ方なんだって。いてて、しがみつくな!」
「むー!」

 もみ合っているうちに、いつしかこのみの体は貴明のひざの上にあった。

「えへー」
「ミルフィーユは?」
「責任とって食べさせてもらうのであります」
「何の責任だか」

 そうは言いながらもフォークの上に乗せたミルフィーユをこのみの口の前に差し出す。
 しかしこのみは頬を膨らませて首を横に振った。くちびるに人差し指を当てて、その指を貴明のくちびるにつける。

「こ、このみさん?」
「食べさせて? タカくん」

 熱を帯びたような潤んだ瞳が貴明を絡めとって離さない。

「いや、でもな」
「食べさせて……」

 有無を言わさぬこのみの艶っぽさに負けて彼はケーキの一切れをくちびるではさむ。
 このみの腕が徐々に近づいていく彼の頭に回され、くちびるが合わさると同時にその甘い物体は取り去られた。
 離れかけたとき、ぺろりと紅い舌が彼のくちびるに残った生クリームをぬぐっていく。
 強烈な色気に思わず貴明はごくり、とつばを呑んだ。

「紅茶も……」
「あのなあ」
「タカくん、お願い」

 結局貴明は逆らえず、まだかすかに湯気を立てるレモンティーを口に含む。
 ミルフィーユの甘みが残るくちびると触れて、貴明の全身に震えに似た興奮がはしる。
 口の中に残る紅茶を余さずこそげとるようにこのみの舌が貴明の中をなぞっていく。
 そのままこのみは引き込むように自分からソファに体を倒していった。

「えへ〜。タカくん分補充完了であります」

 二時間後、つやつやした顔で勝ち誇るように胸を張るこのみの下で貴明は真っ白になって伸びていた。

「このみさ、やっぱタマ姉に似てきたかも」
「ホント? うれしいよ」
「うれしいのか」
「わたし、もっとタマお姉ちゃんみたいになるね」

 げ、という表情の貴明に向かって、このみは妖艶に微笑んで見せる。
 そこには間違いなく彼女が目指す女性の片鱗がのぞいていた。



 二年後・完



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